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     私と浦安男声合唱団        −誕生した頃        越 茂樹(Sテノール)

  

浦安男声合唱団の創立から30年ほど経たこの頃、創立当時のことを色々思い出しています。

1982年12月、その年に市制が施行されて記念に文化会館が建設されました。其のこけら落しに「市民合唱団参加によるベートーベンの第九交響曲」が演奏されました、其の時の市民合唱団約200人の内、市民男声パート約24名の内15名が創立メンバーでした、当時浦安市は市制第一年で「まち作り」と言うキーワードが言い交わされ意気盛んでしたが、文化的な実情は音楽演奏の分野では女声合唱団が三つ(合計約60名)だけで後は吹奏楽団、ギターサークルなど幾つかだけでした。
 
其の中、行政当局は熊川市長・宇田川市議会議長以下が「如何なる援助も惜しまない」と明言されて10年近くもの間、直接経費を税金で負担し援助して下さいました。私達は其の事を何時までも忘れないでしょう
 
発足の練習開始は翌83年1月からで記念すべき第一曲は、グリークラブアルバムからの「転がせ転がせビール樽」でした、先生は野村高一氏・伴奏は加藤泉さんでした。成長を急ぐのではなく、先ずベーシックなトレーニングをとお願いした記憶が有ります。
 
あれから30年数多くの曲の演奏を発表し、団員の平均年齢も正直に増加して来ましたが、これからも年々を「通過地点」と考えて生涯学習の実践の場として永く続いて行って欲しいと望んでいます。 
                                                          (2011年8月) 


        

越さんのご紹介

    越さんは浦安男声合唱団の創立者であり、浦男の初代団長です。私は小沼団長(二代目)を継いで三代目の団長
    を務めましたが、その際、越さんには色々お世話になり、その当時の懐かしい思い出は尽きることがありません。
    越さんは、当時浦男以外でもさまざまな合唱活動を主宰されていましたが、今もソロ活動を続けておられ、そのバイ
    タリティーには頭が下がります。浦男の重鎮としてこれからも我々を指導していただきたいと願っています。
                                                            (岸本,Sテノール)